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中高生期⑥ [自己紹介]

 私も例に漏れずその様な風潮に流されて、
”就職に有利だから”という理由で、好きでもない電子工学科を志望するようになります。

 しかしどうでしょうか?
私位の年代で電機メーカに就職した技術者は現在とても苦戦している様に見受けられます。

 そして何よりも、損得勘定抜きに自分のやりたい事を目指すのが幸せな人生だと思います。

(ここまでが前回の内容です)



 そこで、第一志望に東京にあります国立の工学部電子工学科に決めました。
理由は先にも述べました通り就職り有利だから、そして学費が安いからです。

 我が家は五人兄弟です。しかも私は長男です。
この後もまだまだお金がかかりますから、少しでも親の負担を減らそうと思いました。

 家の高校は三流高校でしたので、多分国立大を受験する事自体が初めてでした。
万が一国立大に受かってしまったら、それこそ快挙になります。

 何故か分かりませんが、その当時は自信と確信が在りました。
これだけ(一日8時間を365日)やってるんだから、結果に結びつくだろう~と漠然と信じてました。

 そして結果は見事、第一志望に現役合格しました。
この高校三年間は、中学校までのコンプレックスを打ち破る大きな成功体験となりました。

 その後の人生の中でも挫けそうになる場面が多々ありましたが、
少年野球チームの最後で活躍できた事や、
高校三件間がむしゃらに勉強したら国立大に入れた事が大きな支えになりました。

 これから大きな挑戦をしようと考えてます。
きっと成功出来ます。
過去の成功体験を再度呼び覚ましたら絶対に出来ます。



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中高生期⑤ [自己紹介]

 高校は三流公立校でしたから校内成績はぶっちぎりの一位でした。
一年の一学期から三年の三学期までズ~トぶっちぎりの一位でした。
義務教育の9年間では味わう事の出来なかった快感!優越感でした!

   正に、 鶏口となるも牛後となるなかれ です。

 特に数学が好きで、新学年が始まる春休みにはその学年の教科書を全て終わらせました。
当然全国模試でもいい成績をとりましたから、周囲からは”神待遇”を受けました。

 そして、大学で数学を勉強したいを思うようになりました。

(ここまでが前回の内容です)



 しかし、”数学科を出ても数学の先生になるしかない” と言うのが当時の専らの考えでした。
自分がそう思い込んでいたのか、周囲で的確なアドバイスをしてくれる人がいなかったのか?

 今でしたら、数学科を出れば銀行や保険会社から葺合が多いと聞きます。
デリバティブ商品の開発や保険商品の開発に高度な数学が必要だからです。
又鉄鋼メーカなども「熱伝導方程式」と「ブラック-ショールズ方程式」(デリバティブの基本数式)
に類似性がある事から就職先の一つに加わっていると聞きます。

 しかし当時はまだ、工学部で実学を学び大手メーカーに就職する事が大道のような風潮が有りました。
バブル崩壊の10年位前で日本メーカーの全盛期でした。
そして、”半導体革命” とか言ってこれからは電子工学の時代だ!と日経新聞等は囃し立ててました。

 私も例に漏れずその様な風潮に流されて、
”就職に有利だから”という理由で、好きでもない電子工学科を志望するようになります。

 しかしどうでしょうか?
私位の年代で電機メーカに就職した技術者は現在とても苦戦している様に見受けられます。

 そして何よりも、損得勘定抜きに自分のやりたい事を目指すのが幸せな人生だと思います。

(つづく)



 




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中高生期④ [自己紹介]

 そんな状況での、「高校に入ったら勉強するんだぞ!」の一言は非常にインパクトがありました。
無意識の中で人生のアドバイスを求めていたのかも知れません。
そして、自分の中でも”やってやろう!”という気持ちがフツフツと沸いて来ました。

 小学校の野球チームでのそうでしたが、泣かず飛ばずの期間が長く最後だけワ~と頑張るタイプです。
中学校は何をやっても冴えない期間でしたが、大学受験に向けて高校入学時からジワ~と燃えて来ました。
学生生活12年間の集大成って感じです。

(ここまでが前回の内容)



 高校生活の三年間は気が狂った様に勉強しました。
宅勉独学です。通信添削やラジオ講座で勉強しました。
塾通いはしませんでした。
親に負担をかけたくなかったのと、通う時間がもったいないと考えてました。

 学校から帰って来たら直ぐに、勉強しました。
食事と風呂とNHK21時のニュース以外はズ~ト勉強してました。
寝るのはいつも3:00amです。
学校が近かったので8:00amに起きても間に合いました。
三年間無遅刻無早退無欠席の皆勤賞でした。

 毎晩午前様の父親が帰ってきて酔っ払いながら「がんばってんな~」と声を掛けられるのが何と無く嬉しかったです。

 高校は三流公立校でしたから校内成績はぶっちぎりの一位でした。
一年の一学期から三年の三学期までズ~トぶっちぎりの一位でした。
義務教育の9年間では味わう事の出来なかった快感!優越感でした!

   正に、 鶏口となるも牛後となるなかれ です。

 特に数学が好きで、新学年が始まる春休みにはその学年の教科書を全て終わらせました。
当然全国模試でもいい成績をとりましたから、周囲からは”神待遇”を受けました。

 そして、大学で数学を勉強したいを思うようになりました。

(つづく)



 

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中高生期③ [自己紹介]

 一つ行きたい高校がありましたが、
年子の姉が通ってましたので12年間も同じ学校には行きた無く、
もう一つ下の高校行く事にしました。

 そうするとよほどのことが無い限り絶対に受かりますので、
予備校も行かず、ろくに勉強もせず、
当時流行っていた”ビートたけしのオールナイトニッポン”を毎週聞いては、
翌日出来の悪い友人達とその話題で盛り上がってました。

(ここまでが前回の内容です)


 高校受験はあっけなく終わりました。
何もしませんでした。当然合格しました。
家から自宅まで自転車で20分です。

 入学後、中学時代のテニス部の先輩から入部の誘いが有りましたが断りました。
それは、入学式直前に父親から「高校に入ったら勉強するんだぞ!」の一言が胸に引っ掛かっていたからです。

 父は大手鉄鋼メーカーのサラリーマンです。
毎日早朝に出社して深夜に帰宅。
土日も殆どゴルフで、家にいるのは日曜日の夕方だけで、
サザエさんを観ながら一緒に食事するのが唯一の家族団欒の場でした。

 ですから父とは殆ど話をする機会がなく、進路や勉強について話した個ともありませんでした。
父は一浪して旧帝国大卒でしたから、私には無言のプレッシャとなってました。

 そんな状況での、「高校に入ったら勉強するんだぞ!」の一言は非常にインパクトがありました。
無意識の中で人生のアドバイスを求めていたのかも知れません。
そして、自分の中でも”やってやろう!”という気持ちがフツフツと沸いて来ました。

 小学校の野球チームでのそうでしたが、泣かず飛ばずの期間が長く最後だけワ~と頑張るタイプです。
中学校は何をやっても冴えない期間でしたが、大学受験に向けて高校入学時からジワ~と燃えて来ました。
学生生活12年間の集大成って感じです。

(つづく)

 

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中高生期② [自己紹介]

 その当時はアニメ”エースを狙え”が大ヒットしてました。
その影響で女子テニス部の入部希望者が殺到してました。
多分50人以上いたと思います。

 男子もその半分位いたと思いますが、私も何と無くその流れに乗って入部しました。
最終的には10人位までに減りましたが、私は”途中で辞めるのが嫌い”という少年野球チームと同じ理由で結局三年間続けました。

(ここまでが前回の内容)


 この中学校の三年間もパッとしませんでした。
やはり部活は補欠ですし、成績も中間位ですし、背も低くてモテませんでした。

 当時の中学校は一学年のクラス数が多く、とても荒れていた感じです。
”3年B組 金八先生”と言うドラマが流行ってましたが、正にそんな感じです。

 高校受験は滑り止め無しで近くの県立高校を一校だけ受験しました。
希望の県立高校の選定基準は家の近くで自転車通学が出来る所、
自分でも合格できる偏差値の所  の2点です。

 一つ行きたい高校がありましたが、
年子の姉が通ってましたので12年間も同じ学校には行きた無く、
もう一つ下の高校行く事にしました。

 そうするとよほどのことが無い限り絶対に受かりますので、
予備校も行かず、ろくに勉強もせず、
当時流行っていた”ビートたけしのオールナイトニッポン”を毎週聞いては、
翌日出来の悪い友人達とその話題で盛り上がってました。

(つづく)



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中高生期① [自己紹介]

 しかし、自分の人生は”セミ”か?と自問します。
セミは5~6年地面の中で過ごし、地表に出て成虫になったら一週間で死にます。
この最後の一週間の為に何年も地面にいる訳です。

 私も深海魚の様に下積み生活をして、最後にパッと花を咲かせて終わります。
そんな人生の繰り返しがこれから始まります。

(ここまでが前回の内容です)


 小学校を卒業して、公立の中学に上がりました。
我が町には中学校がありませんでしたので、少年野球リーグのあった隣町まで通いました。

 中学では野球をやるつもりは全くありませんでした。
それでも野球部は一番人気で私の学年では100人位仮入部したと思います。
しかし、一週間位経つと半分位になってました。厳しい世界です。
私も小学校の三年間で辛い思い出が殆どでしたので分かれような気がします。

 その当時はアニメ”エースを狙え”が大ヒットしてました。
その影響で女子テニス部の入部希望者が殺到してました。
多分50人以上いたと思います。

 男子もその半分位いたと思いますが、私も何と無くその流れに乗って入部しました。
最終的には10人位までに減りましたが、私は”途中で辞めるのが嫌い”という少年野球チームと同じ理由で結局三年間続けました。

(つづく)




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幼少期⑦ [自己紹介]

 片や隣町は20チーム位有る訳ですから当然戦力が分散されてしまう訳です。
その隣町の少年野球リーグに参加させて貰う訳ですから圧倒的に我が町の2チームが強豪になってしまいました。

 私のチームのピッチャーは高校卒の時にプロから声が掛かった程の逸材でした。
同じ小学生とは思えない恵まれた身体から投げ下ろされる剛速球は唸りを上げてました。
タダタダ格の違いをベンチで眺めているだけでした。

(ここまでが前回の内容です)



 ベンチを暖めて続けて3年間。卒業間近の最後のトーナメント戦だったと思います。
なぜか私用で休む人が多くてスタメンのチャンスが回って来ました。

 欠員が出たポジションを数人の候補が守ってみて、ノックを受けてその中で一番上手な子を先発させました。
そうしたら何故かその日だけ上手いこと守れ、なんとサードで先発になりました。
本番の試合でもそつなくこなせ、打ってもヒットとなり良い事づくめでした。

 周りのメンバーからはなんで今まで冴えなかったのか不思議がられましたが、自分でも分かりません。
この時だけは力を発揮でき結果を残せました。
何か自分じゃない力が働いた様なかんじです。

 この小さな成功体験がとても貴重でした。
今までの冴えない人生の中での唯一成功を実感できた瞬間で、この体験をする為に3年間の下積み生活が有ったようなものです。
この時ばかりは野球続けていて良かったなあ~と実感しましたし、この経験があったからこそ、その後の人生で困難にぶつかっても諦めなければ何とかなるわと思えるようになりました。

 しかし、自分の人生は”セミ”か?と自問します。
セミは5~6年地面の中で過ごし、地表に出て成虫になったら一週間で死にます。
この最後の一週間の為に何年も地面にいる訳です。

 私も深海魚の様に下積み生活をして、最後にパッと花を咲かせて終わります。
そんな人生の繰り返しがこれから始まります。

(つづく)



 




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幼少期⑥ [自己紹介]

 そう言えば、木更津にいた時もいつも週末は父の部下の人が筍掘りや潮干狩りに連れて行ってくれました。父とのそういった想い出はありません。
野球の試合も毎週観に来る親もいる反面、家の親の様に年に一度位しか来ないのもどうかな?と子供ながらに感じてました。

 なので自分が親になったらなるべく家にいて子供と共に過ごす時間を確保したいと考えてました。
自分の親が反面教師になった様です。
結果、子供は二人居ますが幼少期に充分共に過ごす事が出来たとか感じてます。

(ここまでが前回の内容です)




 小学校4~6年生の3年間少年野球チームに所属しましたが、身体も小さく(背の順で並ぶとクラスではいつも前から2、3番目でした)性格もおっとりしていて勝負強さに欠け、いつも補欠でした。

 この頃から中学卒業までは本当に冴えない期間でした。
性格の問題も有りますが、3月生まれの早生まれだった事が大きかったと思います。
生年月日順に並ぶといつもビリかその前でした。

 ですので、自分の子供は絶対に4月~8月の間に生まれる様にしたいとズ~ト考えてました。
首尾良く我が子二人は、4月生と5月生です。
二人とも、クラスの中では背が高く運動も出来て、いつも頼られる存在で幼稚園~中学校まで過ごしましたので、楽しく過ごせる環境を提供できて良かったと思いました。

 我がチームの後、この学校の生徒が立ち上げたチームがもう一つだけ有りました。
しかし結局この地域で2チームだけでしたから野球をやりたい人がドンドン集まってきます。

 片や隣町は20チーム位有る訳ですから当然戦力が分散されてしまう訳です。
その隣町の少年野球リーグに参加させて貰う訳ですから圧倒的に我が町の2チームが強豪になってしまいました。

 私のチームのピッチャーは高校卒の時にプロから声が掛かった程の逸材でした。
同じ小学生とは思えない恵まれた身体から投げ下ろされる剛速球は唸りを上げてました。
タダタダ格の違いをベンチで眺めているだけでした。

(つづく)







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幼少期⑤ [自己紹介]

 とんでもない監督もいました。
上手く審判を騙して、点数をごまかして勝てたら子供達にアイスを驕るなどです。
子供心にこんな監督のチームでなくて良かったと思いました。

 さてさて、現実の虚しさを紛らわす為に誘われるがままに少年野球チームに入りました。
不安は有りましたが、期待に胸を膨らませて入会したのですが、、、、

(ここまでが前回の内容です)



 満たされない思いを満たしてくれる筈の野球チームでしたたが、現実はそんなに甘くありませんでした。
何せ今までスポーツをやった事が無く(新興住宅の社宅でしたので少年スポーツチームやら、現代風のキッズクラブみたいなものは皆無でしたから、TVでプロ野球を観てただの憧れで入りましたからキツイの一言でした。)

 ですが、何故か途中で辞めるのが嫌いで嫌なんだけれど毎週欠かさず土曜日の練習、日曜日の試合に参加してました。
週末家に居てもやる事が無いというのもありました。
兄弟は小さくて母親はそっちに付きっきりですし、父親は週末はいつも接待ゴルフで居ません。
家族で出掛けた思い出なんてありませんでした。

 そう言えば、木更津にいた時もいつも週末は父の部下の人が筍掘りや潮干狩りに連れて行ってくれました。父とのそういった想い出はありません。
野球の試合も毎週観に来る親もいる反面、家の親の様に年に一度位しか来ないのもどうかな?と子供ながらに感じてました。

 なので自分が親になったらなるべく家にいて子供と共に過ごす時間を確保したいと考えてました。
自分の親が反面教師になった様です。
結果、子供は二人居ますが幼少期に充分共に過ごす事が出来たとか感じてます。

(つづく)



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幼少期④ [自己紹介]

 さて、転校した小学校は最悪でした。
学校の周りには県営住宅が広がっていて、低所得世帯の溜り場でした。
ですので、学校のレベルも低く、ガラが悪くて馴染めませんでした。

 木更津では特権階級張りの生活でしたので、奈落の底に突き落とされた感じでした。
連日ブルーな気持ちで登校しますので、友達もなかなか出来ませでした。

 そんな中、救いの手が差し伸べられました。

(ここまでが前回の内容です)




 木更津にズ~ト帰りたいと思いながら半年が過ぎて、小学校の4年生に進級しました。
クラス替えが有り、ここで集まった父兄(今風に言えばオヤジの会)からある提案がありました。

 この学校には野球チームが無く、野球チームに入りたければ隣町のチームに入るしかありませんでした。
隣町は少年野球が盛んで、チームだけでも20チーム位ありました。

 そこでわが町初の少年野球チームを作って、隣町の野球リーグに加盟する事になりました。
先ずはクラスの有志でチームを作りました。

 一人の草野球経験者のお父さんが監督を引き受けてくれました。
この方、それ以降10年間位監督を続けられました。
毎週土日を潰して少年野球チームをの為に尽力された姿に頭が下がります。
本当の人格者でした。
 
 とんでもない監督もいました。
上手く審判を騙して、点数をごまかして勝てたら子供達にアイスを驕るなどです。
子供心にこんな監督のチームでなくて良かったと思いました。

 さてさて、現実の虚しさを紛らわす為に誘われるがままに少年野球チームに入りました。
不安は有りましたが、期待に胸を膨らませて入会したのですが、、、、

(つづく)




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